キャリア形成
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「早く博士号をとって臨床に戻りたい」と思っていた医師が、研究に魅了されるまで

cork31
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こんにちは、こるく31です。

先日、約5年間のアメリカ研究留学を終えて日本へ本帰国し、次のキャリアへ進んだことをご報告しました。

帰国してからというもの、ありがたいことに様々なバックグラウンドの方とお話しする機会が増えています。その中で、非常によく聞かれる質問があります。

「そもそも、なぜ先生は研究の道に進もうと思ったのですか?」

大学院を出て、アメリカで5年間ポスドクとして基礎研究に打ち込んできた。この経歴だけを見ると、さぞかし医学生や研修医の頃から「研究で世界を変えてやる!」と高い志を持っていたように見えるかもしれません。

しかし、実際のところはまったく違います。 今回は、新しいキャリアを歩み始めた「原点回帰」の意味も込めて、私がなぜ研究医(Physician-Scientist)の道に足を踏み入れたのか、当時の本音を交えながら振り返ってみたいと思います。

もともと研究には興味がなく、むしろ「アンチ」だった

白状すると、もともと私は研究にまったく興味がありませんでした。 患者さんと向き合う日々の臨床診療が純粋に好きでしたし、医師としてのやりがいもそこに感じていました。

むしろ当時は、大学病院などにありがちな「臨床を頑張っている医師よりも、研究ができる医師(論文を書いている医師)を高く評価する風潮」に対して、強い反発心すら抱いていました。「医者の本分は目の前の患者さんを診ることだろう」と、どこか斜に構えて見ていた部分があったのだと思います。

そんな私がなぜ大学院に進学したのか。理由はとても浅いものです。

当時、私の同年代の医師は自分を含めて5人いたのですが、他の4人が全員大学院へ進学することになったのです。私は最後まで進学するかどうか迷っていました。しかし、ふと冷静に周囲の状況を見たとき、「もしここで自分1人だけ大学院に入らず病棟に残ったら、あらゆる雑用を一手に押し付けられそうだな……」という極めて現実的(かつ消極的)な危機感がよぎりました。

「よし、とりあえず大学院には入ろう。ただし、なるべく低エフォートで、スパッと最短で博士号だけ取って、その後から臨床に全集中しよう」

これが、私の研究キャリアの偽らざるスタートラインでした。

転機となった1年目:指導医の言葉と「仮説検証」の快感

そんな消極的な動機で始まった大学院生活でしたが、研究を始めて1年ほど経った頃、自分の中で大きな変化が訪れました。

単純に、研究がすごく楽しくなってきたのです。

自分でアイディアを練り、仮説を立て、実験を組み立てて検証する。そして、自分の立てた仮説が見事に成立した瞬間の快感。データを現像する暗室で予想外のデータを引き当て、「この事実は世界でまだ自分一人しか知らない!」と興奮して眠れなくなるような感覚は、臨床とはまた違う知的な刺激に満ちていました。

また、直属の指導医(ボスY)が、私のモチベーションを上げるのが非常に上手な方だったことも幸運でした。実験の手技を教わるだけでなく、事あるごとに「一緒に肺がんを根治させよう」と声をかけてくれたのです。

さらに、診療で関わっていた患者さんから「先生、研究も頑張ってくださいね」と温かい言葉をかけていただいたことも、心に強く残りました。

「自分の仮説が証明されれば、それがいつか患者さんを救うことにつながるかもしれない」

指導医の熱い言葉と、患者さんからの応援によって、単なる「実験作業」だった研究が、自分の中で明確な「意味」を持ち始めた瞬間でした。

平坦ではなかった道のりと、医師としての視座の変化

もちろん、そこから先が順風満帆だったわけでは決してありません。

むしろ実際の研究生活は、8ヶ月間費やしたメインプロジェクトが白紙に戻ったり、論文投稿後に6連続で門前払い(リジェクト)を食らったり、病棟業務に復帰しながら地獄のようなリバイス実験に追われたりと、達成感より辛いことの方が多い「茨の道」でした。(このあたりの泥臭い経緯については、ぜひ以下の記事も読んでみてください)

基礎研究から臨床応用を目指して:大学院生の論文アクセプトまでの軌跡
基礎研究から臨床応用を目指して:大学院生の論文アクセプトまでの軌跡

それでも、そうした苦労の先に運よく学術振興会(学振)の特別研究員に採択され、さらには当初の目標でもあった「大学院の早期卒業」を達成できたことが、大きな自信とモチベーション維持につながりました。

そして、「せっかく研究が軌道に乗ってきたし、人生で一度はアメリカで仕事をして生活してみたい」という以前からの希望も重なり、卒業後は渡米してポスドクとしてさらに研究を続ける決断をしました。

研究にのめり込むにつれて、私の中で医師としての「視座」も少しずつ変化していきました。

かつては「目の前の患者さんを一人ひとり丁寧に治すこと」がすべてでした。しかし、臨床で多くの患者さんを看取り、医療の限界を痛感していたからこそ、研究を続けるうちに「目の前の患者さんだけでなく、数千人、数万人単位の患者さんを治したい。そのための新しい手立てを開発したい」という思いへと、自然に移行していったのです。

おわりに:研究は万人にはおすすめしない。けれど…

こうして振り返ってみると、私の研究医としてのスタートは、決して胸を張れるような立派なものではありませんでした。しかし、その後のアメリカでの5年間も含めて、今は当時の自分の選択に満足しています。

一方で、誤解のないように付け加えておくと、私は今でも「臨床診療」という行為は本当に素晴らしいものだと思っていますし、それこそが医師の基本(原点)であるという考えは変わっていません。もし将来また機会があれば、臨床の現場に戻りたいという気持ちもどこかに持ち続けています。

最後に、これから大学院進学や研究を始めようか迷っている方へ、ひとつだけ率直な思いをお伝えして終わりたいと思います。

正直なところ、私は研究という道を万人にはおすすめしません。

基礎研究は、どれだけ時間をかけて努力しても、その努力が一瞬で無に帰すことが珍しくない世界です。臨床のように「自分が頑張れば頑張った分だけ、目の前の誰かにすぐ還元される」という手応えが得られにくく、向き不向きや環境要因も大きく影響します。

ただ、当時の私のように「最初はまったく興味がなかったのに、やってみたら思いがけずハマる」というケースがあるのも事実です。

だからこそ、もし少しでも気になっているのなら、最初から深く考えすぎずに一度足を踏み入れてみてもいいのではないでしょうか。そして、もし実際にやってみて「自分には合わないな」と感じたら、その時は途中でやめたっていいのです。

そもそも、研究だけが医者の挑戦ではありません。 臨床の現場で専門性を極めることも、地域医療や教育に力を注ぐことも、あるいは全く別のフィールドに飛び込むことも、すべて同じように価値ある素晴らしい挑戦です。

医師には、それぞれの形で社会や患者さんに貢献できる多様な道があり、いつでも戻れる「臨床」というホームもあります。だからこそ、研究を特別視しすぎず、「数ある選択肢のひとつ」として気負わずに覗いてみる。それくらいの柔軟なスタンスで、ご自身のキャリアを考えてみてもいいのではないでしょうか。

それでは、今回は以上となります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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