基礎研究

【第2部】日本の創薬産業が直面する危機と産学連携の必要性


前回の記事では、肺がん診療の現場でみてきた基礎研究が臨床に与えた影響と想定される今後の課題についてお話ししました。

今回は、日本の医療を支える創薬産業そのものが直面している深刻な問題を取り上げます。正直なところ、私がこの分野で特別深い知見を持っているわけではありません。しかし、臨床現場で働く医師として、また研究に携わる者として、この問題に強い関心を抱いており、私なりに考えをまとめてみました。

私自身もまだ勉強中の身ですので、記事の最後のコメント欄で、皆さんからの建設的なご意見やご指摘もお待ちしています。

なぜ今、産学連携が必要なのか

かつて臨床医は比較的限られたリソースでも質の高い研究を完結することができました。しかし、研究が高度化した現在、状況は一変しています。

シングルセル解析、空間的プロテオミクス解析、AIを用いたビッグデータなど、これらの最新技術は極めて高額で、解析には専門知識も必要です。そのため、一つの研究室だけでは対応しきれず、臨床医単独で大きなインパクトを与える論文を発表することは、非常に難しくなっています。

その一方で、国の財政状況や社会保障費の増大もあり、研究費を大幅に増やすことは困難です。だからこそ、限られた公的資金だけに頼るのではなく、民間企業との連携による新たな研究資金の確保が不可欠になっています。

相互利益による新たな関係性

この問題を打開するカギが産学連携にありますが、これは一方的な支援関係ではありません。大学の「発見する力」と企業の「実現する力」が組み合わさることで、効率的なイノベーションの創出が可能になるのではないでしょうか。

大学が企業に提供できる価値

  • 臨床現場でのニーズの把握
  • 実際の患者データ/サンプルへの直接アクセス
  • 基礎研究から臨床応用への橋渡し機能
  • 実臨床での薬剤効果の客観的評価

企業が大学に提供できる価値

  • 最先端設備と潤沢な研究資金
  • 大規模臨床試験を実施するノウハウ
  • 薬事規制や承認申請に関する専門知識
  • 研究成果を実際の治療薬として患者に届ける力

創薬エコシステムの構築に向けた環境整備

この産学連携を支える環境は、徐々に整備が進んできています。

医師起業家の育成支援

主要大学では、医師がスタートアップを立ち上げやすい環境整備が進んでいます。実際に私の医学部の同期にも、臨床経験を活かしてバイオベンチャーのCEOを務める医師が複数います。

薬事承認の効率化

PMDAの相談制度の充実や条件付き早期承認制度により、画期的な新薬が患者に届くまでの期間が短縮されています。

自由診療による早期収益化

現在、日本では自由診療の市場規模が限定的です。これはあくまで私見ですが、今後、この市場を活用することで、保険適用前の革新的な治療法の早期実用化と収益化が可能となり、スタートアップ企業の開発を支える仕組みが構築されるのではないでしょうか。

産学連携を阻む壁 – 現実的な課題

アカデミア側が抱える構造的問題

次に、産学連携を難しくしているアカデミア側の要因を考察していきます。

日本の医師の多忙さ

私個人の見解ですが、アメリカと比べて日本の医師は忙しいように思います。時折、点滴のルート確保も医師が自分で行い、24時間365日病院からの呼び出しがあり、患者さんがICUに入っても主治医は変わらず泊まり込んで治療にあたります*。このような環境では、産学連携のための時間を確保するのが難しいように感じます。

*医師の忙しさは病院、診療科、医局の人数など、色々な要因が影響します。

時代に合わない価値観

日本では「研究の自由性」「学問の独立性」を重視する文化が残っているように思います。「I have nothing to disclose(利益相反なし)」がカッコいいとされる風潮もあるのかもしれません。しかし、アメリカではスタッフレベルの臨床医もPIも大量のCOI(利益相反)があるのが普通です。そのため、論文や学会で発表する時の情報集めが、とても大変です…

今後は「社会への貢献」「患者さんへの価値提供」も重視する考え方が大事だと思います。

評価システムの多様化

現在の医師の評価は、論文数とインパクトファクターに偏っているように思います。特許数やプロダクトの社会実装なども評価の対象にして良いのではないでしょうか。偉そうでごめんなさい。

実際の連携で直面する問題

では次に、産学連携において直面する課題について取り上げていきます。私自身の経験では、以下のような問題がありました:

  • 企業の化合物を使って実験したが、後から「論文化は禁止」と言われる
  • 治験中止により研究も強制的に中断
  • 様々な制限により論文発表が困難になる

など

これらは、企業の事情も理解できる一方で、アカデミア側の目標達成を阻害する要因となっています。

解決への具体的な道筋

次に、上記に挙げたような問題点の解決策を述べていきます。

柔軟性のある包括的な資金提供

現在の短期的な研究契約ではなく、5-10年の長期契約を結ぶことで、双方のメリットを最大化できるように思います。企業は複数プロジェクトでリスクを分散でき、大学は研究の自由度と長期計画を確保できます。

共同研究センターの設立

物理的に同じ場所で研究することで、日常的な意見交換が生まれ、想定外のイノベーションが起こりやすくなります。実際、アメリカでは、MIT周辺のケンドールスクエアにWhitehead InstituteやBroad Instituteなどの研究機関が集積し、大学・研究機関・企業が近接した研究エコシステムが構築されています。私自身、留学先で企業研究者と隣同士で研究していた時期に、多くのアイデアが生まれました。この「同じ環境を共有する」という工夫は想像以上に効果が大きいように思います。

人材の流動性向上

企業研究者の大学派遣と教員の企業出向を促進することで、相互理解が深まり、より効果的な連携が可能になると思います。また、短期集中的な交流も効果的で、実際に私が受賞したアメリカのフェローシップでは、アカデミア側のPhysician-Scientistと大手製薬会社側の研究者との一泊二日の交流会が毎年開催され、相互の視点を学ぶ貴重な機会となりました。

以下の記事でその時の様子を軽くまとめています。

【2024年の振り返り】がん研究者の研究交流記録研究者として活動する中で、今年は例年以上に多くの場所を訪れる機会に恵まれました。学会発表や研究交流を通じて得られた経験や、その土地ならで...

危機的な現状 – 数字が物語る日本の創薬力低下

これまで産学連携の重要性や課題について論じてきましたが、改めて現状の深刻さを具体的な数字で確認しておきたいと思います。

日本の創薬数の低下

以下のデータは、世界売上の上位品目における日本企業の製品数を示しています。上位品目は30年間で半分以下に減少しており、この傾向が続けば、日本発の新薬はさらに減少していく可能性があります。

上図は次より引用:国立がん研究センター 間野博行先生, 世界と日本の創薬の現状,p3,閲覧日: 2025/6/9. URL: https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/souyakuryoku/dai1/siryou5.pdf

深刻な医薬品の輸入超過

2022年の医薬品貿易収支では、輸入額5.7兆円に対し輸出額は1.1兆円のみ。輸入超過額は約4.6兆円に達し、日本は医薬品を海外に大きく依存している状況です。

上図は次より引用:国立がん研究センター 間野博行先生, 世界と日本の創薬の現状,p2,閲覧日: 2025/6/9. URL: https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/souyakuryoku/dai1/siryou5.pdf

国内未承認薬問題

世界で開発された新薬のうち約7割が日本で承認されていないようです。この「ドラッグラグ」により、日本の患者さんは最新の治療法にアクセスできない状況が続いています。

医薬産業政策研究所, 国内未承認薬の最新動向 -2023年の日米新薬承認状況をふまえて-,閲覧日: 2025/6/9. URL: https://www.jpma.or.jp/opir/news/072/01.html

希望への道筋 – 協力による未来

以上の数字を見ると、日本の創薬産業の厳しい現状が分かりました。しかし、だからこそ産学連携による新たな取り組みが重要になってきます。私の講演の最後では、富士山の下にトンネルを掘る二人の研究者のイラストをお見せしました。ちなみに、このイラストの作成に2時間かかりました…

この両者が、それぞれの強みを活かしながら、「イノベーション」という山の下でトンネルを掘り進める。一人で掘り進めるよりも、両側から掘り進めれば、トンネルは確実に、そして早く開通します。これが産学連携の本質ではないでしょうか。

まとめ

正直なところ、日本の創薬産業が直面している課題は一朝一夕に解決できるものではありません。しかし、私は産学連携にこそ、その解決の糸口があると考えています。

大学には臨床現場のリアルなニーズと豊富な患者データやサンプルが、企業には技術力と資金力があります。そして、このどちらにも優秀な人材が備わっています。この両者が物理的に近い場所で日常的に交流し、長期的な視点で協力できれば、革新的な治療法を生み出すことは不可能ではないように思います。

また、こうした連携を進める上で、今後は医師にも診療・研究に加えて知財戦略や事業化といった新たなスキルが求められてきます。一見困難に思えるかもしれませんが、AI技術の活用により効率的な習得が可能になりつつあります。

私自身、まだまだ勉強中の身ですが、一臨床医として、そして研究に携わる者として、この問題に向き合い続けていきたいと思います。

以上、最後まで読んで頂きありがとうございました!

この記事は講演の内容をもとに、医療現場での経験と研究活動を通じて得た知見をまとめたものです。医療に関する判断は必ず医師にご相談ください。

 


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