基礎研究

医師の研究留学:5年間で得たもの、やって良かったこと、やればよかったこと

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前回の記事では、論文アクセプトのご報告をしました。

その記事の後半で予告した通り、今回は少し趣向を変えて、2021年からの研究留学5年間を総括的に振り返ってみようと思います。

ここでは、「留学で得られたもの」を紹介しつつ、読んでくれた方にとって有益になるように「やって良かったこと」「やればよかったこと」についても、私なりに言及していきます。

得られたもの①:研究成果

まず、分かりやすいところから。研究成果です。

この5年間で得られた主な成果を挙げると、以下のようになります。

  • 複数の国際学会での受賞
  • アメリカ最高峰のポスドクフェローシップの獲得
  • 複数のメジャージャーナルでの共著論文
  • 筆頭/責任著者としての論文が姉妹紙にアクセプト
  • 複数のアカデミア・企業にまたがるプロジェクトの完遂

こうして並べると順調に見えるかもしれませんが、前回・前々回の記事を読んでくださった方はご存知の通り、その裏側にはリジェクトの連続、共同研究企業の倒産、キャリアプランの崩壊といった、かなり泥臭い現実がありました。

特に、筆頭著者論文のアクセプトまでに5年を要したことは、当初のキャリアプラン(3〜4年以内)からすると大幅な遅れでした。

ただ、前回も書いた通り、リビジョンを重ねる中で当初よりもはるかに深いサイエンスを掘り下げることができ、最終的に自分が心から納得できる内容に仕上がりました。

結果論ではありますが、遠回りしたからこそ辿り着けた場所があった。今ではそう考えています。

「運が良かった」ことについて

もう一つ正直に書いておかなければならないことがあります。

それは、これらの成果の多くが、運に恵まれたという点です。

コロナ診療中に有名ラボへの内定が決まったこと、日本の留学助成金を獲得できたこと。それだけでも十分に幸運でしたが、留学中にも「もしこれがなかったら詰んでいた」と思う場面が何度かありました。

たとえば、私が獲得したアメリカのポスドクフェローシップは、ちょうど私が申請した年度まで、コロナの影響で申請期限が延長されていました。通常のスケジュールだったら間に合っていませんでした。

共同研究先の企業の倒産に関しても、その後、別の企業が薬剤を買い取り、臨床試験を積極的に拡大してくれたことで、プロジェクトが息を吹き返しました。あの買収がなければ、論文に必要な臨床データは永遠に失われていたかもしれません。

姉妹紙へのトランスファーの機会を頂けたことも、今振り返ると運が良かったことだと思います。

さらに言えば、所属ラボ自体が5年間存続してくれたことも、当たり前のようでいて決して当たり前ではありません。アメリカではPIの資金が尽きてラボが閉鎖されるケースは珍しくなく、そうなればポスドクのプロジェクトも道連れになるケースがあります。また、PIが製薬企業に転職して、ラボが閉鎖になるパターンもあります。

得られたもの②:人とのつながり

研究成果と同じくらい価値があったのが、人とのつながりです。

5年間アメリカにいると、自然と色々なネットワークができていきます。

まず、世界的な研究者とのつながり。学会や共同研究を通じて、自分の分野のトップランナーたちと直接議論できる関係を築けたことは、大きな財産になりました。

次に、バイオファーマ・バイオテック企業とのつながり。研究プロジェクトやフェローシップを通じて、R&D部門のヘッドだけでなく、様々な役職の方々と知り合う機会がありました。アカデミアの中だけにいると見えない視点、たとえば、研究成果をどう製品開発につなげるか、企業側が研究者に何を期待しているかを肌で感じられたことは、自分のキャリアを考える上でも参考になりました。

また、フェローシップを通じたコミュニティへの参加も大きかったです。同じフェローシップの仲間たちは、分野は違えど同じように海外で研究に挑んでいる人たちで、互いの悩みやキャリアの相談ができる貴重な存在になりました。

意外だったのは、日本人とのつながりがアメリカで広がったことです。海外にいるからこそ、日本から来ている研究者や留学生とつながる機会があり、中には高校生もいました。同じ境遇だからこそ生まれる結束感というのは、日本にいた頃にはなかった種類のものでした。

そして、忘れてはいけないのが、アシスタント達との関係です。私の研究を毎日支えてくれた多国籍なアシスタント達を指導する中で、マネジメントやメンタリングのスキルが磨かれたように思います。

得られたもの③:内面の変化

最後に、目に見えにくいけれど大きかったかもしれない変化について。

この5年間を振り返って最も強く感じているのは、「長期目標を最後までやり遂げた」という達成感です。

大げさに聞こえるかもしれませんが、海外で5年間生き延びて、プロジェクトを完遂するというのは、自分にとって人生の中でも大きな挑戦でした。何度も帰りたくなったし、何度も心が折れかけた。5年間のうち、うまくいっていた時間よりも、うまくいかなかった時間の方がはるかに長かった。

先ほど書いたように、運に恵まれた場面も数多く、そういう記憶がある限り、「自分はすごい」と驕ることはないですし、この先困難に直面した時にも、自分を律する基準になってくれるのではないかと期待しています。

もう一つ大きかったのは、国外に出ることで俯瞰的に自分自身を振り返れるようになったことです。

日本にいた頃は、目の前の環境が世界の全てのように感じてしまいがちです。医局のルール、日本の医療界の常識、周囲からの期待。それらが当たり前だと思っていたものが、海外から眺めてみると、数ある選択肢の一つに過ぎなかったことに気づきます。

この「俯瞰する力」は、留学しなければ得られなかったものだと思います。

やって良かったこと

ここからは、留学中に「これはやっておいて正解だった」と感じていることを共有します。

基礎研究以外のキャリアパスを視野に入れておく

これは留学当初から強く意識するようにしていました。アカデミアでPIを目指すという道は、もちろん一つの選択肢です。しかし、現実問題として、アメリカでPIポジションを獲得する競争は熾烈を極めます。

留学中のどこかの段階で、「もし基礎研究一本で生きていけない場合、自分のスキルセットをどうブリッジするか」を考えておくことは、精神衛生上も重要だと思います。

私自身、プランBを常に意識していたことで、プロジェクトが一段落した後の次のステップへの移行がスムーズでした。この辺りの話はまた別の記事で書ければと思います

日本の医局との関係を維持する

海外に出ると、どうしても日本の所属先との距離が物理的にも心理的にも開いていきます。でも、この関係を意識的に維持しておくことは、想像以上に重要でした。私の場合、留学中も同じ医局の後輩たちのキャリア相談に乗ったり、講演をしたりしていました。

キャリアの重要な判断をする際には帰国して教授と直接お会いして相談しましたし、自分のPIが来日した際には大学に招待して、日米の研究者をつなぐ場を設けたりもしました。

こうした地道なつながりの維持が、結果的にキャリアの選択肢を広げてくれたように思います。詳しくは今後の記事で書いていきたいと思いますが、キャリアの転換期において、日本側にキーパーソンとの信頼関係が残っているかどうかは、長期的なキャリア形成において大事だと思います。

個人的な考えですが、医師キャリア10〜15年程度では、まだまだ一人の力でキャリアを切り拓くのは難しいと感じています。どれだけ個人として実績を積んでも、要所で支えてくれる人、道を示してくれる人の存在なしには、今の自分はなかったと思います。

研究留学後、海外に永住せず、日本に戻る場合はある程度のつながりを残しておくことをお勧めします。

オンラインで日本の学会に参加する

これは比較的小さなことですが、地味に効果がありました。

留学中、オンラインで日本の肺がん学会に参加し、臨床情報のアップデートを続けていました。基礎研究に没頭していると、臨床の最新動向から離れてしまいがちです。でも、自分の研究が最終的に患者さんに届くものである以上、臨床の現場で何が起きているかを把握しておくことは、研究の方向性を見失わないためにも重要でした。

コロナ以降、多くの学会がオンライン参加のオプションを用意してくれるようになったので、海外からでもアクセスしやすくなっています。留学中の方には、ぜひ活用をおすすめします。

やればよかったこと

ここからは後悔、とまでは言いませんが、「もしタイムマシンがあったら過去の自分にアドバイスしたいこと」を書きます。

日本にいる段階から海外に持っていける実験プロジェクトを始めておく

少しハードルが高いのは承知の上ですが、これが私の考える最も大きな「出来たらよかった」ことです。

私の場合、留学前はコロナ診療に忙殺されていたので、現実的には不可能でしたが、その結果、渡米してからゼロベースで実験プロジェクトを立ち上げる必要がありました。ラボの環境に慣れる時間、新しい実験モデル・実験手技を学ぶ時間、共同研究者との関係構築にかかる時間。これらを考えると、最初の1年はほとんど助走期間でした。

もし日本にいる段階から何らかの予備実験やデータ収集を始めて、それをアメリカに持ち込む形にしていれば、1つ目の論文をもっと早く仕上げることができたはずです。

そしてここが重要なのですが、論文が1本早く出ることの意味は、CV上の1行が増えることだけではありません。キャリアプランを吟味する時間的余裕が生まれるということです。

私のケースでは、筆頭著者論文に5年かかったことで、キャリアの選択肢を検討する時間が大幅に圧縮されました。もし3年目に1本目が出ていれば、残りの2年間でもう一つのプロジェクトを進めながら、じっくりと次のステップを考えることができたように思います。

これから留学を予定している方は、もし可能なら、渡航前から「持ち込めるデータ」を意識的に作っておくことをおすすめします。

補足になりますが、アメリカのアカデミアではPhDを取得してから何年経ったかが非常に重要です。そのため、ポスドク中のタイムラインを常に意識しておく必要があります。

製薬やVCなどの短期インターン

アカデミア以外のキャリアを視野に入れておくべきだと先ほど書きましたが、その延長線上で、製薬企業/スタートアップやベンチャーキャピタルでの短期インターンは経験しておきたかったと思います。

アメリカでは、ポスドクが企業のインターンシップに参加することは珍しくありません。実際に現場を見ることで、アカデミアとの違いを肌で感じることができますし、将来の転職活動においても具体的な経験として語れるようになります。

ただし、正直に書くと、私にはそんな余裕は一切ありませんでした。研究プロジェクトに全てのリソースを注ぎ込んでいた状況で、インターンに時間を割くことは現実的に不可能でした。

だからこそ、もし最初の論文がもう少し早く片付いていれば、という話に戻ります。時間的余裕があれば、こうした「本業以外の経験」に投資する選択肢が生まれます。キャリアの幅を広げるためには、研究の進捗管理とキャリア探索を並行して進める意識が大切だと、今は思います。

グリーンカード(永住権)の取得

これは、留学を考えている人にはぜひ早い段階で知っておいてほしいことです。

多くの日本人研究者は、「留学は一時的なもので、いずれ日本に帰る」という前提で渡航します。私自身もそうでした。

しかし、海外に住んでみると、考え方が変わる方が多いです。

アメリカの研究環境、キャリアの選択肢の広さ、生活スタイル。それらを実際に経験すると、「帰国一択」だった考えが揺らぐことは珍しくありません。周囲の日本人研究者を見ていても、当初は帰国予定だったのに、途中から残留を検討し始めるケースは数多くありました。

そうなった時に、グリーンカード(永住権)がないと選択肢が大幅に制限されます。ビザの種類によっては就労先が限られますし、転職の自由度も下がります。

グリーンカードの申請には時間がかかります。EB-1A(卓越した能力を持つ個人)やEB-2 NIW(国益免除)など、研究者が申請しやすいカテゴリもありますが、いずれも書類の準備に相当な時間と労力が必要です。

「今のところ帰国予定だから」と後回しにするのではなく、「将来気が変わる可能性を想定して、選択肢を残しておく」という発想で、早めに情報収集と準備を始めておくことをおすすめします。

では、私はどうだったか?

正直に言うと、色んな方々からの親切な助言があったにも関わらず、作業が億劫で行いませんでした。そしてこれは、後になって実感を伴う形で跳ね返ってきました。

グリーンカードがないことで、次のキャリアステップを模索する際に検討できる選択肢が狭まり、交渉の場面でも余計な苦労が生じました。最終的には自分が納得できる道に辿り着けたので結果オーライではあるのですが、そこに至るまでの過程がもっとスムーズだったはずだと思うと、やはり「あの時やっておけば」という気持ちは残ります。詳細はいずれ別の記事で書きたいと思います。

おわりに

以上、研究留学5年間の総括でした。

得られたものを振り返ると、研究成果人とのつながり、そして内面の変化。どれも留学しなければ手に入らなかったものばかりです。

一方で、やればよかったことを振り返ると、その多くが「時間の使い方」「早い段階でのキャリアの視野拡大」に集約されます。

研究に没頭することと、キャリア全体を俯瞰することは、相反するようでいて両立が求められる。これは留学に限らず、研究者としての普遍的な課題なのかもしれません。

この5年間、本当に大変でした。でも、もう一度やり直すとしても、やっぱり留学を選ぶと思います。

今後は、この留学で得たものをどう次のキャリアにつなげていくのか、具体的にどんな道を選んだのかについても、順次書いていく予定です。

これから留学を検討している方、現在留学中で奮闘している方に、この記事が少しでも参考になれば幸いです。

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